養殖の歴史1

広島牡蠣物語〜 牡蠣ングダムの栄華と繁栄 〜

オイ☆スター
勢揃い!水揚げ量ナンバーワンの
牡蠣ングダムを支える
牡蠣師たち

広島県は、全国で一位の牡蠣生産量を誇る牡蠣ングダムです。その数は、全国生産量の約七割を占めます。いまや不動の地位を確立した牡蠣ングダム・広島県ですが、その歴史は古く、室町時代にはもう養殖がはじまっていたという資料も残されています。これは、この巨大な帝国を支える人々、歴史、おいしさの秘密に迫る物語です。

島田水産

島田水産

「全国で初めてブランドの牡蠣を作った、名前も初めてつけた。」

厳蠣

島田水産

稚貝の内から一粒ずつ大切に育てたプレミアムかき。昔ながらの干潟を使った養殖方法は他にはなく,強い甘みと,さわやかな後味が特徴。

広島県漁業協同組合連合会

広島県漁業協同組合連合会

かき小町

広島県漁業協同組合連合会

夏場でも身痩せしにくく、大きさは通常のかきの約1.5倍。一年間を通して品質(身入り)が安定しており、夏でも(加熱調理用)楽しめる。

広島水産

広島水産

極鮮王

極鮮王

大粒サイズのみを厳選し、むき身から最終製品まで一切真水を使用せず、無水状態で製品出荷。「極」限まで「鮮」度にこだわった「王」様級の美味しさを味わえる。

極鮮姫

極鮮姫

一切真水を使用せず、無水状態で製品出荷するのは「極鮮王」と同じで、大きさは中粒サイズを選別。「王」にくらべて(大粒15g以上)かわいいサイズの「極鮮姫」。

宮島レモンオイスター

宮島レモンオイスター

「極鮮姫」を、広島レモン(大崎上島)の搾り汁と皮を入れた滅菌海水の中に漬け込む。何も味付けせずにそのまま焼くだけで美味しい、あっさりとした風味が特徴。

森脇水産

森脇水産

「手間がかかるから作らないではなく、手間をかけて極上のものを作る。」

森脇水産

後味のさっぱりした生食用殻付かき。広島一若いかき。ネーミングは,他では出来ない養殖期間を示す「若」。

ファームスズキ

ファームスズキ

「海外に負けない生食用の殻つきの牡蠣を育ててみたい」

塩田熟成かき小町

塩田熟成かき小町

広島県のブランド牡蠣「かき小町」を海面で養殖後,塩田跡の養殖池で一カ月以上育てることにより味を熟成させた牡蠣。

塩田熟成縞かき

塩田熟成縞かき

種苗生産し、オーストラリア式のフロート籠を使用して塩田跡の養殖池で育てる。生後一年以内の一口サイズの小粒な牡蠣。

広島の牡蠣は
なぜおいしい?濃厚で肉厚、広島牡蠣が
おいしい理由

広島牡蠣は、殻は小さいけれど身は大きくプリッとしていて、濃厚な味わいが特徴です。一般的な出荷時期は十〜五月ですが、近年では夏でもおいしく食べられる品種が開発され、一年をとおしてプリッと肉厚で濃厚な味わいを楽しめるようになりました。広島のかきが美味しい理由は一体どこにあるのでしょう?

穏やかな地形・風波・潮流

穏やかな
地形・風波・潮流

広島湾は島や岬に囲まれ、波が静かで、潮の流れも適度にあり、牡蠣の成育にいい条件がそろっています。潮の流れや、水温、塩分濃度だけでなく、波が穏やかなため、養殖筏を安全に設置できることも、おいしい牡蠣をつくる養殖場の運営に一役かっています。

牡蠣にピッタリの水温変化

牡蠣にピッタリの
水温変化

例えば、夏の水温上昇が産卵の刺激を与え、秋の水温低下が牡蠣の身を大きくします。水温が夏に上がらなかったり、秋に下がらなかったりすると、牡蠣養殖そのものの土台がゆらぎかねません。このように、水温変化もまた、牡蠣養殖にとって大切な条件の1つなのです。

ほどよい塩分濃度

ほどよい
塩分濃度

流れ込む河川水の影響で、広島湾では梅雨時期から夏にかけ海水中に塩分濃度の差による層ができます。このため、牡蠣のエサや酸素などの上下混合がほとんどなく、水平的な拡散・移動が中心となり、「甘い水(=少し薄い海水)」を好む牡蠣にとって最高の条件となるのです。

豊富な植物プランクトン

豊富な
植物プランクトン

牡蠣の大好物は、植物プランクトン。そのため、プランクトンの増殖が、牡蠣養殖の1つの鍵になります。広島湾は、この点でも大変恵まれた環境にあります。というのも、流れ込む河川水によって運び込まれた栄養が、植物プランクトンの増殖に大きく貢献しているからです。

四五〇年の
養殖の歴史?ずっとむかしから
牡蠣はみんなの
大好物

生でも、焼いても、煮ても、蒸しても、どんな食べ方をしても変わらず私たちを満足させてくれる牡蠣ですが、それは現代に限った話ではなく、人類はずっとずっと昔から牡蠣を愛していました。それは、縄文時代や弥生時代の貝塚から牡蠣殻が出てくることからも明らかです。

実は、牡蠣の仲間が地球上に現れたのは、何と一億年前といわれています。県北部の三次・庄原地区の160万年前の地層から、大きくて厚い殻の牡蠣の化石が出土しています。広島湾でも古来、天然の牡蠣がとれていて、人々は岩や石についている牡蠣を自由にとって食べていました。

養殖の歴史1

養殖が始まったのは、室町時代の天文年間(1532~55年)、約450年前。1924年に草津村役場が発行した「草津案内」にこう記されています。「天文年間(1532~55)安芸国(=広島)において養殖の法を発明せり」広島湾における牡蠣の養殖の記述としては、最も古いものだとされていますが、安芸国のどこか、どのような養殖法かは分かっていません。

養殖の歴史1

養殖の初期の方法としては、干潟に小石を並べて牡蠣を付着させ、成育を待って収穫する「石蒔養殖法」や、牡蠣を干潟の砂の上に直接置いて、成育を待って収穫する「地蒔(ちまき)式養殖法」などがありました。生産性はあまり高くありませんでしたが、風波の影響を受けにくいことから簡単だったので、長く続きました。

養殖の歴史1

その後、「ひび建て養殖法」といって、竹や雑木を干潟に建て、かきを付着させ、成育を待って収穫する養殖方法が生まれ、この方法は昭和の初めまで約300年間ほど行なわれました。カキの養殖方法はその後も改良・改善が加えられ今の「筏式垂下法」が主流となったのは戦後になってからです。

干潟でしか養殖できなかった漁場の沖合化を可能にし、漁場面積は拡大、広島かきの生産量は飛躍的に伸びてきました。今、わたしたちの食卓に、当たり前のように牡蠣がならぶのもの、こうした長い時間をかけて、さまざまな人が、いつでも美味しい牡蠣がだべられるように努力を重ねてきた結果なのです。